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大阪地方裁判所 平成5年(ワ)4279号 判決 1995年9月28日

原告

田中光雄

被告

櫻木甚一郎

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告は原告に対し、金四〇二万九六三二円及び内金三六六万九六三二円に対する平成二年五月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、大型貨物自動車が原動機付自転車に接触した事故により、傷害を負つた同車の運転者が、大型貨物自動車の運転者に対して、両名間に成立した示談は無効であるとして、民法七〇九条に基づき、損害賠償を請求した事案である。

一  争いのない事実等(証拠によつて認定する事実は、証拠を摘示する。)

1  交通事故(以下「本件事故」という。)の発生

(一) 発生日時 平成二年五月一七日午後二時二〇分

(二) 発生場所 滋賀県滋賀郡滋賀町南比良四七〇番地の一国道一六一号線

(三) 被害車両 原告運転の原動機付自転車(東大阪市リ六三二六、以下「原告車」という。)

(四) 加害車両 被告運転の大型貨物自動車(京一一か五二八八、以下「被告車」という。)

(五) 事故態様 被告車が、道路左端を走行中の原告車を追い越そうとした際に、被告が原告車との距離を十分にとらなかつたため、両車が接触し、原告が転倒し、頭部打撲等の傷害を負つた。

2  原告は、平成二年五月一七日から同月二二日まで山田整形外科に入院し、同日から同年一〇月一日まで東長原病院に通院し、この間の六月一日と九月二一日には鈴木眼科に通院(甲一九)し、同年九月二七日から平成三年七月一日まで大阪大学医学部附属病院眼科(以下「阪大眼科」という。)に通院した。

そして、原告は、平成三年三月、後遺障害の事前認定の申請をしたが、非該当となつたので、同年五月二〇日、異議申立をしたものの、同年六月一四日、非該当とされた。

3  示談の成立

平成三年七月三日、原・被告間に、次の条項の示談(以下「本件示談」という。)が成立した。

(一) 本件事故による治療費四九万三五一三円は病院に支払済みである。

(二) 原告の受傷による損害賠償金として、既払金一〇〇万円の外に金一〇三万八〇〇四円を支払う。

(三) 後日、本件事故による後遺障害として等級認定された場合には、後遺障害につき再示談を行い、賠償金を原告に支払う。

二  争点

1  本件示談は錯誤無効か。

(原告の主張)

本件示談の交渉を担当した被告加入の任意保険会社である安田火災海上保険株式会社(以下「安田火災」という。)の社員山本元務(以下「山本」という。)は、原告に対し、何回も電話で「いつまでもダラダラしてはいけない。打ち切ります。」と一方的に通告したため、原告は、示談に応じないと十分な保障が得られないと誤信した。その際、原告は、前記一、3の条項(三)の意味を理解しないままであつた。

また、原告は、阪大眼科の医師より、症状が相当ひどいので、後遺障害の認定が出ないはずはないと言われ、さらに、山本から、後遺障害の認定が非該当になつたのは、原告が提出した診断書の作成日付が間違つていたためであるから、これが訂正されれば後遺障害が認定されるかのように言われた、そのため、原告は、本件示談後に後遺障害の等級認定を受けられるものと誤信した。

以上のとおり、原告には動機の錯誤があり、右動機を山本に表示していた。

2  本件示談は公序良俗に違反し、無効か。

(原告の主張)

自算会調査事務所は、診断書の日付が、明らかな誤記により、事故前となつていたため、これを奇貨として後遺障害を否認し、非該当の認定をしたものであつて、このような事実に反する非該当の認定を根拠に示談の拘束力を主張することは、公序良俗に違反する。

第三争点に対する判断

一  原告の症状及び示談に至る経緯等

前記第二、一の事実に証拠(甲三、四の1ないし3、五ないし七、一〇、一二、一三、一七ないし二一、二五、二六の1、2、乙二、三、五、七、九、一一ないし二二、二五の1、2、二六ないし三一、証人山本、原告)及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められる。

1  原告は、本件事故当日の平成二年五月一七日、大津市内の山田整形外科で、頭部外傷、頸椎挫傷、右肘、右手打撲と診断されて、同月二二日まで入院し、同日以降住所地近くの東長原病院に通院するようになつた。右通院中の同年六月一日には、霧視(目がかすんでみえること)を訴えて鈴木眼科に通院し、視力、屈折、精密眼底等の検査を受け、遠近の矯正眼鏡を処方された。このときは、複視の訴えはなく、両眼視検査に著変はなかつた。その後の同年九月頃、原告は左眼に異常を覚え、左眼を閉じなければ、階段を降りるときに転倒する危険を感ずるようになつたため、同月二一日、再度、鈴木眼科で診察を受けたところ、軽度の複視を指摘され、阪大眼科に紹介された。そこで、同月二七日以降平成三年七月一日まで阪大眼科に通院した。同科では、左眼球運動障害及び複視(滑車神経不全麻痺)と診断され、ステロイド治療を受けた。

2  被告加入の安田火災の山本は、東京に勤務していたため、電話及び文書で、数十回にわたり、原告と連絡を取り合つて、交渉を重ねてきたところ、当初、原告は、頭部打撲の症状を訴えていたが、右症状が改善されると、次第に眼の症状を訴えるようになつた。

そこで、山本は、平成二年一二月二六日、原告に対し、文書で、阪大眼科の担当医の笹部医師に後遺障害診断書を作成してもらつて、安田火災に提出するよう連絡した。そして、平成三年一月九日付、同医師作成の、複視である旨の後遺障害診断書(乙一一)が、原告から送付されたので、安田火災は、同年三月二六日に後遺障害の事前認定の申請をした。これに対し、自算会調査事務所は、同年四月一八日、障害発現の時期から外傷性とは認められないとして、非該当とした。

そこで、原告は、同年五月二〇日、異議申立てを行つたが、同年六月一四日、自算会調査事務所は、同様の理由で非該当とした。

そのため、山本は、原告に対し、同月二〇日、「交通事故が原因で眼球運動障害が発現したという診断書が発行されない限り、認定は残念ながら困難と存じます。」と記載した文書を添えて、損害計算書(乙二七)を送付した。さらに、山本は、同月二六日、原告に対し、予め、後遺障害については、認定された時点で再示談となる旨を電話で伝えた上、同旨を記載した書面を添えて、前記第二、一、3の各条項が記載されている、損害賠償に関する念書と題する書面を送付し、同書面に日付等を記載して、署名、押印するよう求めた。

そこで、原告が右書面に平成三年七月三日と作成日付を記載した上、署名、押印して、これを、安田火災に送付したため、安田火災は示談金一〇三万八〇〇四円を支払つた。

なお、その後の、同年七月一七日にも、安田火災は、同月一日付けの阪大眼科医師作成の後遺障害診断書(甲一四)を添付して、後遺障害等級の事前認定の再申請をしたが、同年一二月一三日、非該当とされた。また、本件示談成立までの間に、山本は、原告から送付された笹部医師作成の診断書の作成日付が事故前の平成二年二月六日と誤記されていたため(乙九)、これを訂正して再提出するよう連絡し、これを受けた原告は、同医師により、作成日付が平成三年二月六日と訂正された診断書(甲七)を山本に送付したことがあつた。

二  本件示談の効力

1  錯誤について

原告は、山本が「いつまでもダラダラしてはいけない。打ち切ります。」と一方的に通告したため、原告が、示談に応じなければ十分な保障を受けられなくなると誤信したと主張し、原告は、山本が右のとおり通告したため誤信に陥つた旨供述し、甲二五(原告の陳述書)にも同旨の記載があるが、右供述自体、暖昧である上、前記認定の示談の経緯に照らし、山本が原告主張の一方的通告をすることは不自然と考えられるから、原告の右供述及び甲二五の右記載部分は、信用できず、他にこれを認めるに足る証拠はない。また、原告は、示談条項(三)を理解していなかつた旨主張するが、原告は右(三)を読み、一応の理解をして本件示談に至つた旨供述しているので、原告の右主張は失当である。

さらに、原告は、本件示談に応じるに際し、示談後に後遺障害の等級認定が受けられると誤信した旨主張するところ、原告の供述中には同旨部分がみられるが、右供述部分は曖昧であり、かえつて、再申請しても後遺障害の等級認定がされる可能性が低いと感じていたとも供述していることに照らすと、原告主張に沿う右供述部分は信用できず、他に右誤信を認めるに足りる証拠はない。

なお、原告は、誤信に至つた理由として、後遺障害認定のために提出した診断書の作成日付が訂正されれば、後遺障害の等級認定がされると山本が言つたこと及び阪大眼科の医師に後遺障害の認定が出ないはずはないと言われたこと、の二点を主張するところ、診断書の日付に明確な誤記があつたことは前記認定のとおりであるが、本件全証拠によるも、山本が、日付が訂正されれば等級認定がされると言つたことや原告が阪大眼科の医師から、後遺障害の認定が出ないはずはないと言われた事実を認めることはできない。

以上により、原告主張の錯誤無効は認められない。

2  公序良俗違反について

原告は、事故前の日付が記載された診断書が提出されたのを奇貨として、後遺障害について非該当の認定がされたと主張するが、本件全証拠によるもこれを認めることはできない。かえつて、乙一三、一六、二一によれば、非該当の認定は、眼科の初診が受傷後約四か月経過後であり、滑車神経麻痺とする他覚的、医学的発現根拠がないこと、一般的に滑車神経麻痺は交通外傷に起因しなくても発現することがあるとされていること等を根拠としていると認められる。

そうすると、原告の公序良俗違反の主張はその前提を欠くものといわざるを得ないので、右主張は失当である。

三  結語

以上により、原告の請求は、その余について判断するまでもなく失当であるから、棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 下方元子 水野有子 宇井竜夫)

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